2025.07.31
コラム第30回「認知症と不動産売買 ~『売りたくても売れない』を防ぐために~」

「親が高齢で施設への入所が決まり、実家を売却してその費用に充てたい。ただ、最近認知症が進んでいて、きちんと話が通じるか不安で…」
このようなご相談が、近年急増しています。背景にあるのは、急速に進む高齢化と、認知症患者数の増加です。
厚生労働省の推計によれば、2025年には65歳以上の高齢者のうち約5人に1人が認知症になると見込まれています。
不動産は高額な資産であり、売買契約は法律行為の中でもとりわけ慎重な「意思確認」が求められます。もし本人に判断能力がないと認められると、契約は成立しません。
実際に起きたケースをご紹介しましょう。
名古屋市にお住まいのAさん(60代)は、介護施設に入所する母親(90代)のために、空き家となった実家を売却し、その費用に充てようとしました。
買主も決まり、契約直前という段階で、司法書士による「本人確認」が行われました。しかし、その際に「お母様は契約内容を理解しているとは言いがたい」と判断され、登記手続きがストップしてしまったのです。
Aさんはやむなく家庭裁判所に成年後見制度の申立てを行い、後見人の選任に約4か月、その後の家庭裁判所の不動産売却許可の取得にさらに数か月を要しました。最終的に売却が実現できる状況になったのは、最初の申立てから約1年後です。ただ、その間に最初の買主は別の物件を購入してしまい、契約は白紙に戻ることになりました。
このように、認知症による判断能力の低下は、ご家族の想定を超えて、思わぬ支障を引き起こすことがあります。
今回、Aさんが申し立てた成年後見制度は、認知症などにより判断能力が低下した方に代わって、家庭裁判所が選任する後見人が財産管理や契約行為を行う制度です。ただし、不動産を売却するには、本人の生活費確保など、合理的かつ必要性のある理由が求められ、加えて家庭裁判所の許可も必要となる場合があります。
Aさんのように「介護費用の捻出」が目的であれば、許可が下りる可能性は高いですが、「空き家になったから売りたい」とか、「相続対策のために処分したい」といった理由では、許可が認められない場合もあります。
また、成年後見制度は現在の法律では、一度開始すると、原則として本人が亡くなるまで継続し、途中でやめることはできません。
選任される後見人には弁護士や司法書士などの専門職が就くケースが多く、その報酬を継続的に支払う必要があるため、ご家族の経済的・精神的負担が長期化する点にも注意が必要です。
こうしたリスクを未然に防ぐ手段として、近年注目されているのが「家族信託」です。
家族信託とは、本人が元気なうちに、信頼できる家族などを「受託者」として、不動産の管理や売却などの権限をあらかじめ託しておく制度です。
先ほどのケースで、仮にAさんが、母親の判断能力があるうちに家族信託を締結し、実家の管理権を自らに移していれば、母親の判断能力が低下した後も、本人に代わって実家を売却し、介護費用や生活費に充てることができたでしょう。
家族信託では、成年後見制度のように家庭裁判所への報告や不動産売却にあたっての許可を要せず、柔軟かつ迅速に対応できる点が大きなメリットといえます。
ただし、家族信託は自由度が高い反面、信託契約書の内容次第で実務上の取扱いに差が出る点には注意が必要です。
信託財産に含める対象や、契約内容によっては、金融機関での手続きや不動産の登記実務で支障が出るケースもあります。
また、相続税や贈与税などの税務上の影響も慎重に考慮しなければなりません。
そのため、制度を活用する際には、家族信託の実務に精通した専門家のアドバイスを受け、家族構成や財産の状況に応じた適切な設計を行うことが大切です。
認知症は、ある日突然始まるわけではありません。しかし、法律実務の場面では「本人に判断能力があるかどうか」が常に厳しく問われます。特に不動産売却などの重要な契約行為では、司法書士による意思確認が義務づけられており、「まだ元気だから大丈夫」と思っているうちに、手遅れになるケースも少なくありません。
親御さんの財産管理や実家の売却・活用を検討している方は、ぜひ早めに専門家にご相談ください。「今だからこそできる対策」が、将来の安心につながります。
執筆 司法書士法人ファミリア
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